小説 砕け散るところを見せてあげる 竹宮ゆゆこ
久々に小説の感想を書いてみる。記録しようと思えるほどの小説を最近読んでいなかった。
いいタイトルだと思う。そして浅野いにおが描いた表紙も、何か心に訴えるものを感じさせる。浅野いにおの漫画はそんな好きじゃないけど、こういう絵はいいなと思う。作者はとらドラの原作の人らしい。読んでから知った。
(以下、めちゃくちゃネタバレあり)
ただ、内容がおしい。
つまらないわけでは決してないけど、素材の割りに深い感動を味わえなかった感じ。
まず、ハリの絶叫についての説明が足りないと思う。
虐待をうけていたから、人に急に体に触られることが怖くて、常軌を逸した絶叫をするのだろうか、あまり納得できない。
この、絶叫は、「砕け散るところ」の核なのかもしれないと思っていたけど、たしか主人公が上記のように推論した程度で終わってしまう。もったいないと思う。
いきなり周波数が合う。って表現はいい。この一文が、清澄とハリの関係を端的に表している。
っていうか中盤のラブコメ的な部分がこの人が本領を発揮するところだと思う。
ラストは、なんでこういう風な構造にしたのか、わからない。
語り手が別だった、ってことはよくあるけど、それをする理由があったのか。
しかも、描き方がずるいと思う。
21pの「で、ここからが本当にオレの話。」と出たら、今までしゃべったのもオレ、と判断せざるを得ない。
清澄の息子と清澄が同じ空間に存在していて、テーブルトークのようにしゃべっているならまだしも、同じ空間に存在していないのだから、今まで「オレ」が語っているのに、「で、ここからが本当にオレの話」で語り手が交代するのは看過できないほどの悪文だと思う。「で、」って、「そして」って意味なんだから。明らかにその前の文章の影響を受けていると普通は思ってしまう。話者が交代しているなら、前の文の影響を受けているような書き方はおかしい。
仮に交代していないのなら、清澄の父親が死んでいるのに父親が会いに来ている。
死んだのではなく、離婚していただけ。(本文の記述にもこれに近いように書いてあったからこっちが正しいのだろうか)
もしそうだったら、最後のほうの数行でそれを説明しているのはあまりにも雑だし、そのことに対する清澄の驚きがないのは不自然だし、事前に清澄が知っていたら、冒頭の「亡き父」という表記はおかしい。
どっちにしろ、こんな構造にする理由はないと思う。
あと、ハリの父親の件に関して、警察を呼ぶ前に骨を見つけようとするかけに出るのも説得力が乏しい。
見つかって殺されたら終わりなら、その後のこととかよりもまず警察に駆け込むのが優先だろうに。
めちゃくちゃ期待していただけに残念だったんだよな。
期待していたから、こんだけ惜しいなと感じてしまう。
虐待と少女(ちょっといかれている少女)というテーマでは、どうしても桜庭一樹の「砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない」に軍配が上がってしまう。似てるけど、勝ててない、と思ってしまう。
あと、帯についてる、「最後の一文云々」っていうの、もうそろそろやめてくれ、と思う。それだけで変にハードルがあがってしまうから