「夫婦茶碗」 町田康
「夫婦茶碗」と「人間の屑」の二編を収録
両方とも屑が出てくるけど、なんかちゃっかり人生を楽しんでいるような屑であるから、見てて親近感がわかない。
妊娠させすぎだろ。
「人間失格」もそうだけど、簡単にセックスしちゃってる人間が自分は屑だ、って思ってても、説得力に欠ける。十分発散させてるではないか、欲望を発散しておいてよく言うわ、と。
浅薄な見方と思われてしかるべきだけど、それってかなりの問題なんじゃないのか、と思う。
結局、本当の屑っていうのは、誰からも愛されていなくて、ましてや性行為なんて望むべくもなくて、ゆえにそいつは社会とこれでもかというくらい接点がもてないんじゃないか。だから欲望を発散できず、学習性無力感に陥り、そこから逃れることもできない。そして今求められているのは、少なくともオレによって求められているのは、そういう屑を扱っている本で、この簡単なことをなんで書かないのかと思って自分でちょっと考えて見たけど、そうなると物語にならないんだな。
何にも接点を持っていない人間の話は非常に書きにくい。
物事には入り口と出口を備えなくてはならない、みたいなことを村上春樹が「1973年のピンボール」で確か書いていたけど、そういう力なき屑には「出入り口」の設置のしようがないんだな。無理やり設置しようとしたらそれはあまりに都合のいい話になるし。
それでも「力のある屑」よりも「力なき屑」の話が見たい。