ぼくめっちゃ君の名は。 好きなんすよ

 4回も見てしまっている。

見る度に、頭の中に涼しい風を巻き起こしてくれる感じがある。涼しさは心地よい寂しさと似ている。その感じを文章にするのが難しくてもどかしい。


君の名は。で流れた4曲は、物語と分けがたく繋がっている。

脳だけで忘れないように、形を変えて物語を伝えてくる、ような気がする。だから良い。曲が流れるたびに物語を思い出せる。

僕は劇中の4曲を聴くとき、音楽を聴こう、という意識より、あの物語の感覚に浸ろう、と思っている。

 

好きな順に並べると、なんでもないや、夢灯籠、スパークル、前前前世 で

なんだか前前前世ばかりが持て囃されている気がするが、僕はなんでもないやがダントツで好きだ。

その理由は、この曲が最も君の名は。の感覚を表現していると思うからだ。

君の名は。の感覚は、寂しさ だ。

 

「砂が崩れた後に、しかし一つだけ消えない塊がある。これは寂しさだと、俺は知る。その瞬間に俺には分かる。この先の俺に残るのは、この感情だけなのだと。

(中略)自分が忘れたという現象そのものも、俺はもうすぐ忘れてしまう。」

(小説 君の名は。207P)

 

僕は上記の部分に君の名は。のエッセンスが凝縮されていると信じる。

 

エンターテイメント性がどうとか言われているし、新海誠自身もそこを重視したと言っているが、僕はやはりこの映画から寂しさを感じる。ただ、その寂しさの質が、秒速のころと比べて、受け容れやすい、心地よいものになったんだと思う。

そして、綺麗な絵であるほど、寂しさは伝わってくる。美しく、澄んでいる寂しさだ。

個人的には、「秒速」とどちらが寂しさが上かと言ったら、君の名は。のほうが上だと感じた。

たいていの物語は寂しさに救いが用意されていて、君の名は。も最後に二人が会えるという点では、救いではある。秒速は最後までそれを用意せずに終わらせた点で異質であり、なんだかそれが新海誠の持ち味のようになった。

それでも個人的に 君の名は。 に寂しさの軍配があがる理由は、記憶の欠落があるからだ。

 

君の名は。で二人が最後に会っても、タキとミツハは二人とも互いについての記憶をなくしている。

最も濃密に思っていたときの記憶がないまま出会うことと、その記憶があるまま出会えないこととどちらが寂しいのか。

もちろん君の名は。は、互いの過ごした日々が、バタフライエフェクトシュタインズゲートのように、完全に空っぽになるというわけではない。だから、朝目覚めたときに涙が出ることがあるし、会ったときに涙がこぼれる。ただ、その涙の理由は、SF的な世界の修正作用により、永遠に知ることができない。知ってしまったらタイムパラドックスがおきてしまう。

この人は自分がずっと探してた人で、どこかで会ったことがあって、それはとても重要なことで、忘れられるはずがないのだけれど、なぜか忘れてしまっている。

自分でも理由がよくわからない涙を流しながら、二人はそう思ったはずだ。

再会の喜びだけじゃないはずだ、あの涙は。

経験は記憶として蓄積されない限り無に帰してしまうという、記憶の限界についての寂しさの表出でもあるはず。もちろんそれを明確に二人は自覚できないんだけども。

これから二人はまた始めましての関係からはじめればいいのだが、それでも言い難い寂しさがある。

 

「なんでもないや」の曲名・歌詞・曲調は、戻らない記憶を必死で手繰り寄せて、なお戻らない、という感覚が出てて非常によい。

澄んだ夜空に響いていくような寂しさがメロディに宿っている。

ここからは急にオタクくさくなるんだけど、おそらくタキとミツハがまた関係を築いて、夜道を歩いているときに、ふと、二人がこの、記憶を欠いた感情に思いを馳せてしまうんです。そのときの歌なんです、なんでもないや は。

記憶に基づかない感情をいくら説明しようとしても、うまくしゃべれないから「なんでもないや」と濁す。気にしていないわけではなく、言及できないから「なんでもないや」なのだろう。

 

多くの人は寂しさを抱えている。見つけた瞬間に泣いてしまうような何かを探している。

君の名は。はそれにちゃんと応えたんだろう。変に哲学が入らないから、受け止めたい人がちゃんと受け止められた。

素敵やね。