実家脳

想起

我々は何かを探していて、何かを待っている。

f:id:mangaeigashousetsu:20160929230406j:plain君の名は、の感想を書きます。

以下、君の名は の 本当の感想(本当に頭に浮かんだことでなんとか文章の体をなしているもの)を書きます。なおネタバレ的なものは普通にしている。





大事なものを探したい。でもそれは、なんなのだろう。
どこかにある気がする。

生きるのには物語が必要な人が一定数いる。少なくとも自分は、物語がないと困る。

そして、君の名は、は、そういう、物語を探している人たちが探していた映画なんだ。

新海誠の背景美術は、そういう僕らの 物語への憧れ(及びそうした気持ちへの賛同) を最大限に引き出してくれる。背景が、心情まで伝えてくる。そしてその美しい背景と、キャッチーだがやはり物語性を有している「あの花」のキャラデザが融合すると、主人公が普通の言葉を喋っても、深い情報量を持って伝わってくるんだな。

そして、新海誠がこだわる絵は一瞬一瞬が印象に残る。見たあとに、鳥居や都心や田舎の絵が心を占有している。ミツハがバスケして揺れる乳とかも占有している。

「ここに行ったことがないけど、何故か知っている気がする。
こんな風景を見たことある気がする。」
美しい絵はそういう気持ちにさせる。
こういう気持ちは、タキとミツハが、「会ったことはないのに知っている人がいる気がする」という思いと見事にリンクしてくる。
だから、物語により深く入り込める。

運命とか、バカにしたいけど、仕事で腐り続ける心だったとしても、何処かでそういうのを信じていたい。
そういう相手の名前を叫びたい気がする。

タキとミツハは日常生活における勝ち組(うんざりする言い方だと、リア充)だ。社交的で、器用に生きられる。
人格が入れ替わって、他人が自分の違いに気づいてくれるということは、他人と変えがたい関係を築いているということ。

日常生活の勝ち組だから、名前で呼び合うこと がいたって自然に行われる。
オタクだとそうはいかない。
宮水さん が精一杯。手に名前を書かれても、宮水さん。
それはそれでいいかもしれない。
最後に名前で呼んだりね。
余談だけど、聲の形の石田は、普段は 西宮 と呼ぶのにここぞという時に名前を呼んだね。

どれほど繋がっていても、忘却はとめることができない。
終盤、名前を忘れながらタキとミツハが互いを思い出そうとするところで、なんだか古典的な(古めかしいということではなく、本当に古文や和歌でありそうな)世界を感じてしまう。
忘却とはこんなにも残酷で、こんなにもやりきれないものなのか。完全に忘れてしまえば、失った悲しさえも忘れてしまう。

あと最初にオープニングがあったのが良かったわい。あれで世界観や雰囲気に一回頭が馴染む。RADWIMPSの歌もいいし。
RADWIMPSが歌いすぎだ、と言う人もいるけど、僕はちょうどいいと思った。
前前前世の疾走感、なんでもないやの喪失感 適材適所という感じで、全く邪魔ではなく、BGMとして完璧だったと思う。
特に なんでもないや 良いね。
今、なんでもないや をネットの歌い手?が歌っているやつを聞きながらこの文章を書いていて(ダサすぎる)、CDを借りるのも吝かではないな、と思っている。(借りろや)

また、絵の良さにかき消されてしまうことが多いけど、タキとミツハの声の演技がめちゃくちゃ良い。これは声優になれるぞ二人とも。
特にミツハ。

絵、音楽、声、これがあわさってるんだもの。
理屈をこねて整合性に疑問を感じる人もいるだろうけど、個人的に見ているときはほぼ気にならなかった。物語に勢いがあったから。というか感情移入していたから。よく考えたらおかしなところはあっても、感情に齟齬はほぼなかった。
ひとつだけあえて苦言を呈するなら、ミツハがタキに会いに東京に行って電車で会えた時、タキの「誰お前」って冷たすぎやしないかい?
初対面の女の子に対して「お前」って。キミくらいにしとけや!!


青春の中で留保していた気持ちに改めて向き合える気がする。
ずっと何かを、誰かを、探している。多くの人がそうなんだろう。
クソみたいな日々の中でも、そういえばそんな気持ちがどこかにある。

僕達は、物語を探して生きている。
物語の入り口を探している、と言ってもいいかもしれない。
この映画は、そういう気持ちに寄り添うものだ。

ps,
すげぇ仕事辞めたい、という気持ちと、君の名はすごい良かった、という気持ちが両立していたり、職場と映画館が同じ世界にあるのすごいな。