卑屈を蹴散らす物語

かわいくて、明るくて、学校が大好きで、仲間が大好きで、努力するのが大好き。何の打算もなく人間関係を結び、恐怖や不安や恥が健全なレベルにとどまっていて、生きることにためらいがない。

軽やかに、華やかに、まっすぐに、輝く。

 

こんな輝きを、普通は直視できない。現実にこんな人間がいたら、必ず嫉妬や羨望に伴う卑屈さが自分の中で蠢くから。

だが、ラブライブの9人のキャラクターは、そういう人間だ。そうであるのに、自分は嫉妬するどころか、感動している。

なぜ感動できるか。それは、この物語は、女子高生がスクールアイドルを目指すと言う、今の自分にとって笑うくらい一ミリも関わらないことをテーマにしている作品だからだろう。

自分が大して興味がなかったり、つまんないだろうと思っている世界からのメッセージだからこそ、まっすぐに届く、と言うことが往々にしてある。

時をかける少女」や「おおかみこどもの雨と雪」、「オナニーマスター黒澤」なんかも馬鹿にしながら最初見てたらこりゃえらいことだ、と衝撃をうけた。

こうした、本来届かないはずの、否定されるべきメッセージが「誤配」されたときにこそ、余計な嫉妬や小賢しさや卑屈さが入らない。まっすぐに伝わってくる。

そしてこの「誤配」は、この「自分という存在」から離れているほど発生しやすいと思う。

 

宮崎駿が引退インタビューで「この世は生きるに値する」と言って、「あなたは生きるに値する」と言わなかったのには、明確な意味があると思いたい。

「あなた(私)」が入ると、卑屈の壁を越えなくてはいけない。ひねくれた、卑屈な人間のスケールで描かなくてはいけなくなり、非常に作為的になってしまう。それがぴたりとはまれば爆発的な感動を生むかもしれないが、相当深いところで共感させることを続けないと、卑屈な人間はついてこなくなるものだ。

「あなたのために作った」のではなく、「あなたが関係しているか知らないけど、こういう生き方をこの主人公はするんだ」という方向性で作ったほうが、人間を暗闇から引っ張り出すエネルギーを持つ作品が生まれやすいと思う。

ラブライブはまさにそういう、「あなたは知らんが、彼女たちはこうなんだ」という話で自分の中で「最高の誤配」を引き起こした。

 

1期EDの『きっと青春が聞こえる』の「素直に追いかけて 勇気で追いかけて」のここの部分だけで、ラブライブって説明されている気がする。

この、とてつもない素直さと勇気でもって、みんなで夢を叶える。

「生き生きできる何か」を持っているし、大好きなものを追いかけたいという気持ちがある。

そういう風に自分のパワーを100%出して、燃焼し尽くす青春が、いいに決まってる。厄介な僻み、卑屈根性によって捻じ曲げられるけど。

毎日消耗していると、そんな簡単なことも忘れてしまう。

消耗しまくっている人間がラブライブに出会うともう感謝の念しかない。   ストレートな気持ちを 思い出させてくれるから。      

 

 

 内容は、やはり抜群に面白いとか言うものではない。いや、はっきり言ってあらすじは面白くない。

でも構成や演出がうまい。

Aから始まってBで終わる、という物語も、構成や演出によってはめちゃくちゃ面白くなれる。あらすじ以外のところに魅力は宿る。

なにしろ、8話くらいでもう9人全員がそろっている。しかも、劇中にちゃんとライブシーンを入れながら。それでいて、全員のキャラクターが立っている。

9人もいて、である。

これはめちゃくちゃ驚くべきことで、例えば9人全員のキャラクターが立っている野球漫画なんてあまりないと思う。

だからこそ自分はこのアニメをキャラクターアニメの到達点だと思っている。


 

 

それぞれのキャラクターが立っているから、いくらでも関係性を深められる。

一期の「先輩禁止」という話で上下関係を意識させるような言葉を使うのをやめようという話があるんだけど、一話を使ってこれをやるってすごくないですか?僕はこういう、キャラクターたちの相互関係に非常に重要なんだけど、見落とされがちなところをしっかり表現するのって本当に良いし、立体的になってくると思うんす。



そして、言うまでもなく、音楽の楽しさ。

歌う元気さ。どんな振り付けや表情で歌うんだろう、という、今まで自分が見てきたアニメにはなかった視点をこの物語は導入してくれた。



僕も高坂穂乃果さんに見習って、自分の思いをストレートに書いてみました。

μ'sに入れてください。

 

 

 

オールナイトに行きました

 

僕はラブライブを今年の1月から見始めた。

NHKの再放送から見始めた、にわかだ。

大学生のときは、タイトルしかしらなかったから、ポスターを見ると「きめー」とか、「なんで全員エロマンガの女みたいに恍惚とした表情をしているんだ」などと思っていたが、今では私がおじいさん、といった感じでラブライブにどはまりしてしまったのである。

先週、NHKの1期の最終回が終わり、今週で2期をすべて見た。

 

昨日、午後9時半ごろ、オールナイトが池袋で放映されることを思い出して急いで家から飛び出した。オールナイト上映というものは初めてだが、調べたところ、途中休憩含めて370分とのこと。内容は映画と、20曲くらいのアニメ内でのライブ(PV含む)と、声優たちのライブ映像、の3本立て。見るしかねえ、と思った。

 

 

 

池袋につき、チケットを購入。

席があってよかった。上映時間までブックオフで暇をつぶしていると、ワイルドマウンテンの一巻を発見。ありがたい。

パチンコ屋から「君の知らない物語」が爆音で流れているのが聞こえ感動。

近くに泣いているババアはいるかと探してみるも見つからず。

 

 

館内に入ると、まず入場者特典をもらえた。μ'sが描かれた色紙と映画のフィルム。マキが映っているものをゲット。


思っていたより、お客はまばらだった。半分も埋まってないような。しかし、よく見ると60代くらいの男性もいるし、20代くらいの女性もいる。内容を思い出せば幅広い年代に支持されるのもわかる。

 

暇だったのでツイッターで調べてみると、なんとこのオールナイト上映ではサイリウムを振ったり、声を出して応援してもよいとのこと。

大丈夫なのか、めちゃくちゃうるさいラブライバーが隣にきたらどうしようか、などの不安を抱えていると、前の席の男がおもむろに周囲を確認し、サイリウムを取り出しているではないか。眼が血走っていた。そして周囲の人を見てみるとやはり多くの人がサイリウムのスタンバイをしている。むしろ自分のように手ぶらできているほうが少数派だった。

 

そして一曲目の「僕らのライブ君とのライフ」の前奏が始まると、「フォオオオオ」とか「アアアアアア」とか後ろから聞こえてきた。

後ろを振り返ると、太っている男が立ちながら応援していて周囲の人に注意されている。さすがに立つのはマナー違反だということだが、僕はその小太りの男のメガネに反射して楽しそうに踊っているμ‘sのメンバーの「楽しげな感じ」とその男の「希望そのもの」を見ているような目を忘れることができない。彼もまた、日常の憂さに悲鳴をあげたいところをこの輝ける少女たちによって救われたのだ、と信じたい。

 

最初は驚いたものの、慣れてくるとサイリウムを振りながら応援している人たち(ほぼ男たち)の声は決して邪魔ではなかったし、むしろそれがあることで、本当にライブ会場の観客になれたようで嬉しくなってくる。

自分もサイリウムがあれば、もっとライブになれていれば、ここの人々のようにタイミングよくみんなで「オイオイオイオイ!」とか「フーーーーー!!!」とか言えるのになぁ、せめて友達とくれば声出しても恥ずかしさはあまりなかったのにもったいないことをした、などと思いながら、真顔で首を振っていた。


そして、やはり映画館の音響で聞く音楽は素晴らしい。本当にライブじゃん、と思う。

 

特に、「僕らは今の中で」や「それは僕たちの奇跡」のときは声を出したくて仕方なかった。

「僕らは~」のときの、前奏がかかったときなんかは「ウオオオオオオオオ」っというひときわ大きな喝采があがり(こればかりはさすがに自分も声を出してしまった、あの透き通るような前奏は本当にいい)、わけもなく涙が出そうになった。マキがこちら側に手を振りながら入場してくるところなんか本当に感動してしまう。

あと、「それは~」のサビ前の「チャンスフォーミー!チャンスフォーユー!」のときも周囲の声にあわせて発声することができた。素晴らしい。

 

30分の休憩の後に、映画本編がスタート。もう僕はすでに一回見ているので確認作業のような感じになってしまうが、映画自体は、贔屓目に見てもどうしても間延びしていると感じてしまうところはある。というのも、2期の、卒業をひかえる3年生のためにみんなで海を見に行く話(11話)でもう感動はピークになってしまっている。

 

ただ、この映画の良い点は明確にμ‘sを解散させたところだろう。

廃校も回避し、ラブライブで優勝までしてしまうと、もう目標がない。

そのまま楽しい日常を続けるのもいいだろう。A-RISEはそれを選択した。が、μ‘sは今の形に全てを注いで解散した。この9人が学校に存在している、限られた時間の中で全力を注いだ。この竹を割ったような潔さこそが、スクールアイドルの生き方であり、寿命なのだ。と言うことを示した。

楽しさの底が見える前に、完結させること。消費されつくされる前に、終わりを用意してやること。


それにしても「僕たちはひとつの光」良い歌だなーーーーーーーー。

9人の名前が歌詞に入っているって最高。

エンドロールで9人が身につけていたものが映っている切なさもあいまって。

 

 

最後にμ‘sの声優たちによるライブの映像の上映、と言っても大半がトーク。

曲のほうは前半で聞きまくったからこういう配慮は個人的にはありがたかった。

だが個人的には声優の顔を見るのは避けたい。

現実の女の顔がアニメの女の顔を超えることは確実に不可能だから。まさに次元が違う。

そして一度顔を知ってしまったら、そのキャラクターを見るたびに声優の顔がちらついてしまう。やや肉付きの良いほのかや、普通に威勢の良いかよちんを見て若干テンションが下がったが、9人は普通にトークがうまかった。

「にこりんぱな」のラジオは拝聴したことがあり、3人は面白いとはわかっていたが、他の人も面白かった。

けど、あんまりチームワークがいいとは言えない場面もちらほら。オープニングでは小鳥役の人が意思疎通できなくて放送事故みたいになっていたし、エンディングではマキ役の人がそんな感じになっていた。ああいうことがあると、何があったんだろう、とか、実は仲悪いのか、とか勝手に勘繰ってしまってやめちくりーーーーーと言いたくなる。

特に、俺の中でμ‘sは絶対仲良くあってほしいから、そういう不穏な空気を少しも感じたくないのである。

 

370分もあるからちょっと寝ちゃったりするかな、って思ったらそんなことなくて、普通に最後まで見れた。腰が痛くなったくらい。

 

上映が終わると、「お疲れ様ー」とか「みんな帰ろう」とか「秋葉いくかー」とか、「神田明神(作中に出てくる神社)行くかー」とか、あえて他人に聞こえる声量で言っているオタクがいて、かなり良かった。

 

20160206

ラブライブは何も考えないで見れる。

仕事で埋もれたカスのような日常しかない僕の前に、何も考えなくていい日常を出現させる。

リアリティはそこでは問題ではなく、いかに何も考えないでいられるかが問題。

音楽がある。

音楽に染まっていく

 

僕の知らない同級生が、体育館で生徒を集めてパフォーマンスをしている。

そういうのは見ているだけで気分がいい。

言語以前の感覚というか熱狂がある。

正しいエネルギーの使い方の実演販売だ。

 

これに近い感覚をラブライブのオープニングは生み出している。

 

そういう感覚をラブライブのオープニング映像を見て思うのだ。

1話目のときは、オープニングを見て、やめろやめろ!と思っていた。

だが今となってはその圧倒的な躍動感、キャラのカットの配分のバランス、斬新ではないがそれ故に高校生的なリアルさを生んでいる振り付け等のうまさが胸に残る。

 

高校生の演劇を見たい。

 

きっと青春が聞こえる って切ないね

ピコピコ少年  押切蓮介

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少年時代に好きだったゲームと、それに伴う人や考えについての話

いい。押切蓮介ミスミソウくらいしかちゃんと読んだことはなかった。そしてミスミソウも表紙だけの漫画だと実際に読んで思った。表紙は飛び抜けて良かったけど内容があまりに凄惨な割に単調だと感じた。

押切蓮介はこんくらい力を抜いて書くほうが面白い。
笑いのセンスがあると思う。
それは、中学生的な思考やワードセンスをまだ大人になっても持っているという意味でだ。

二次元に憧れる青春

でも、作者が言うように、面白くて仕方なかったと思う。
自分の好きなものに全力で投資できた人は幸せだろう。


中高生の時に見ていたかもしれない風景を切り取る目を持っている

3ページめくらいで、女の子について、人生に対してやる気がない顔が好き、という文章が出てきて、それだけでいいなと思えた。

「ナルミさん愛してる その他の短篇」 山川直人

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朗らかな女性、生きている女性


なんとなく短篇のマンガが欲しくてブックオフで手にとったけど大当たりだ。
この人の描く女の子は生活を感じられる。そういう言葉や行為を述べるのが巧みだ。
ご褒美に中トロを買う。
ぬいぐるみにドミノと名前をつける。
ぬいぐるみを持って外出をするが、危ない人とは思われたくない。
など、数えるとキリがない。

短篇では 「コートと青空」 がめちゃくちゃいい。
死んだ作家の本ばかり読む男が、古本屋の店員に恋をする。


生きている人間が書くものはハラハラドキドキさせられて嫌だが、生きている人間を愛してしまった。


私、生きてるからビックリしたりガックリしたり きっとしますよ 

 

超いいなこのやりとり。


山川直人は才能があると覚えておかねばならない。



「ナルミさん~」の唐突な終わり方が突き放された感じがして切ない。
坂口安吾がいった文学のふるさとじゃん

果てしなき渇き 深町秋生

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大いなる復讐の完成


ぶっ壊れてる父親が娘を探す。その娘は父親の想像していた存在では全くなかった。

家族が自分の知らないところでとんでもないことをやっていた、と言う点で、「世界の終わり、あるいははじまり」に似ているかもしれない。




復讐は何も生まないというけど、復讐しなきゃ人生が始まらないというやつも存在する。
(こんなセリフをジョジョエルメェスがいってたな)

その復讐によって人生が始まる前に人生を破滅させる奴も多いけど。

自分は中学の時に不良に怯えていた。
もしその時に不良に人生を破壊されるような経験をしていたら、どうなっていただろう。

自分は怯えるあまりそれを求めていたきらいさえあった。
何も起きないのに怯えているだけよりも、確定したマイナスのほうがいい、そのほうが悩んだことに意味がある、という奇妙な価値観があの頃にはあった。今も少しあるのかもしれない。


分厚い割にあっさり終わるな。
もっと後半盛り上げてもいい。

友がみな我よりえらく見える日は 上原隆

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人が自尊心を回復する方法は様々だ。
その一つは、自分と同じような、あるいはそれ以下の生活や精神でいる人を見ることだと思う。

友がみな 我よりえらく 見ゆる日よ 花を買い来て 妻と親しむ

人生は苛酷だ。
そうであっても、頭をおかしくしてでも、何かを掴み取れる程度の明るさを持たなくてはならない。そうじゃないとあまりに意味がなさすぎる。

そうやって生きている人々がいる。
それがわかる。
そして馬鹿らしい。

哲学の本を読むのに家事もできない男。
近いものが遠くて、遠いものと親しんでいるアンバランス感

観念ブタ野郎にならないように